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猫と暮らして思い出したこと

今年の3月、5年ぶりに我が家に猫がやってきました。

シンガポールに住んでいた頃、飼っていたミィという猫を壮絶な癌で看取り、その後しばらくはかなりのペットロスに。もう二度と飼えないかもしれないなと思っていました。

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初代の猫であるミィ

それが昨年末に、夫が突然「あなたに足りないのは猫ではないか」と私の幸福論を語り、「確かにそうかも」と妙に納得。ちょうど引っ越しのタイミングでペット可のマンションに移り、あれよあれよという間に、小さな毛むくじゃらがうちにやってきたのでした。

モジャモジャの塊だからという理由で、名前はモジャとし、もんちゃんというニックネームで呼んでいます。

以前の猫が老猫だったので、若い猫はこんなにも違うものかと、小さい体にギュッと詰まったエネルギーに圧倒される日々です。

この家の主人かのようにふんぞり返って爆睡している姿が愛おしく、老猫の分も元気でのんびり暮らしてほしいなとつくづく思います。

 

ところで私の実家では歴代、犬を飼っていて、祖母も母も猫が苦手でした。

あるとき、実家のすぐ裏手にあった家が野良猫に餌をあげていて、近所一帯に野良猫が住み着いたことが。うちの庭にもたくさんのフンを残していくので、祖母はその掃除に頭を抱えていました。

母は母で小さい頃、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する猫娘というキャラクターが怖かったせいで、猫そのものまでもが恐ろしくなってしまったといいます。なんだそりゃという感じですが、小さい頃の刷り込みというのは案外その後に影響を与えるので、仕方ないのでしょうか…。

 

私はというと小学校低学年の頃、一度にたくさんの猫に甘えられるという不思議な体験をしたことがあります。

犬や猫と話ができると強く信じていて、動物を見かけると「ニャーニャー」「ワンワン」、鳴き声を真似してコミュニケーションを取る。そんな子どもでした。

放課後になるとよく、小学校の隣にあった公園へ遊びに行っていました。

普段は散歩をする人や、砂遊びをする幼児、遊具で遊ぶ小学生などで賑わっていたのですが、その日はなぜかほとんど人がおらず、ベンチに野良猫が2匹くらいいたように記憶しています。

ちょうど一人で遊び相手もいなかったので、野良猫を見つけていつものように「ニャーニャー」と話しかけに行くと、向こうも「ニャーニャー」と応答。あっという間にベンチに座った私の膝に1匹が飛び乗り、もう1匹もすぐそばにやってきました。嬉しくてさらに「ニャーニャー」と話していると、一体どこから出てきたのか、野良猫がまた1匹、2匹とどんどん現れ、私の周りを埋め尽くしました。皆、私に頭を擦り付けて、おしくらまんじゅう状態です。

最終的には15から20匹くらいの、すごい数の野良猫が集まりました。猫たちがちっぽけな子どもをゾロゾロと取り囲んで集会をしているさまは、はたから見たらかなり不思議な光景だったと思います。結局その日は猫たちにお別れをするのが名残惜しく、夕方の門限ギリギリまで一緒に過ごしてから家に帰りました。

それだけで済めば何も問題はなかったはずですが、幼い私は深く考えずに、山ほど野良猫を撫で回した手で、自分の目を擦ってしまいました。

家に着く頃には、目がパンパンになって充血し、白目はドロっと炎症になり、まるでホラー映画のようなありさまに…。

帰宅するや、娘の姿を見た母は絶叫し、すぐに眼科へ連れて行かれました。

目が元の状態に戻るのには数日かかったのですが、私はそんなことより、あのとき猫たちと通じ合えたのが何よりも嬉しくて、母たちから公園へ行くのを禁止されたことに憤慨していました。

 

あの日を境に、実家の猫嫌いはさらに加速した気がします。でも私としては、やっぱりあの頃の猫への気持ちは間違っていなかったなあと、ふわふわの毛むくじゃらを撫でながら、時折あの不思議な午後のひとときを思い返します。

【追記】

その後、我が家にはもう1匹毛むくじゃらが増えました。

まだ1歳にも満たないのに前猫と同じ疾患持ちで、前猫の最期を思い出し、少し悩みましたが、これもご縁。

あっという間に賑やかになった我が家です。

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