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はじまりの日のこと

2022年、もう2月も半ばとなりました。お店は年明けの1月半ばから休業期間をいただき、私は久しぶりの仕入れで海外出張に出かけていました。

実は今年はmuskaをスタートして10年目の年。途中、休止期間を挟んだとはいえ、あっという間でした。シンガポールへ移住したり、猫を看取ったり、家族や仲間と一緒に働くようになったりと、山あり谷あり…。

 

昨年末、muskaを始める際に大変お世話になった方が退職されました。

私がジュエリーを持ち込み、デビューするきっかけとなったお店の店長をしていらっしゃった方です。退職のご挨拶をいただいて、走馬灯のように、当時のことを思い出しました。

2012年。muskaを始めるきっかけになったトルコ旅行から戻り、少しずつ作りためたジュエリーを前に、どうやってブランドをスタートさせればいいか、途方に暮れていた頃でした。
(トルコでのことは、こちらをご覧ください。)

その頃は、自宅のマンションの一室に小さな作業机を設置して、台所の片隅にガスバーナーのコーナーを作り、近隣に迷惑をかけないよう、遮音のためのゴム板を床に敷いて、こつこつと作業をする日々でした。

今では当たり前となりましたが、当時はウェブサイトやオンラインストアを簡単に開設できるサービスも充実していない頃。
本を買って、見よう見まねでホームページを作ってみたり、カメラの得意な友人に撮り方を教えてもらい、自分で作品を撮影してみたり。
大した予算もなければ、ツテもなく、試行錯誤が続きました。

とにかく持ち込みをしようと、作品集作りに取り組んでいましたが、頭の中に思い描くものと、四苦八苦して出来上がったものの乖離っぷりといったら。

大学の友人の多くは、すでにそれぞれの分野で希望の職場に就職して数年目。生き生きと仕事をしているように見え、一方の私はどうなるのかと、不安な気持ちを抱くこともありました。

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muskaを始める前は金属だけでなく、様々な素材を試していた。

今もあまり変わらないかもしれませんが、当時、金工やジュエリー作家は「これが正解」という道がなく、それぞれが個展やイベント、持ち込みなどを通して、世に出るきっかけを掴んでいくような流れがありました。

そうしたチャンスはそうそう簡単に掴めるものではなく、大学時代に独学でアクセサリーを作り始めてから彫金職人の下で修業をしつつ、早数年。自分と、周りの人が進むスピードの差が、どんどん開いていくような感覚…。

それでも、自分が作っていたものの美しさだけは信じていたので、この作品でも駄目だったら、もう宝飾を仕事にすることは諦めようと、そっと心の中で背水の陣を敷いていたことを覚えています。

更に遡ること数年前の学生時代、しょっちゅう東京に遊びに来ていた母に連れられ、ある時、青山の路地奥にひっそりと佇む素敵なお店を訪れました。

軒先の緑が日の光に照らされた門構えの向こうには、細やかな装飾にシルエットが美しい洋服や刺繍作家さんの作品が、宝物のように並んでいました。
ポプリのいい香りと、ゆっくりと流れる時間。

世界にはこんなに素晴らしい手仕事があり、それをこんなに大切に扱い、伝えている人たちがいるのかと、学生の私には全てが衝撃で、ガンと頭を殴られたような気持ちになったのでした。

トルコ旅行から帰国後、muskaの作品を作りながら、持ち込む先として思い浮かべていたのは、このお店でした。

確かな技と美があるものしか置いていない場所。
「もう今の私にはこれ以上のものは作れないから、あのお店に持っていって、ダメだったら諦めよう。」
そう心に決めてはいるものの、自分の思い描く作品集は一向に完成しません。時間ばかりがどんどん過ぎていき、焦る気持ちが強くなります。
あまりに作業が進まず、とうとう知恵熱まで出すようになっていた頃、ついに転機が訪れます。

それは暑い夏の日の午後でした。

一向にうまくできない作品集に業を煮やし、気分転換に、なんの気なしにオラクルカード【1】を1枚引いてみました。

“Perfect Timing”

「今、まさに全ての門があなたに開いています。さあ前に進んで!」という感じのメッセージだったと思います。 そのメッセージカードを見て、私の心が「今だ、行け!」と叫びました。
心の声につられるように、目の前に並べていた作品たちを鞄に詰め込み、ボサボサだった頭をターバンでまとめ、カードを掴んでそのまま家を飛び出しました。

青山に着いたのは夕方頃。
夕日が差しかかり、淡いピンクと薄い紫が空に綺麗なグラデーションをかけていました。

お店のある路地の手前で、じっとり手に汗を握りながら、なかなか中に入れず右往左往を繰り返す私…。心臓の音が体の内側で痛いくらい鳴り響いていました。
少しずつ日が落ちていく空を眺めながら、意を決して、お店の中に入りました。

店内にはちょうど誰もお客様がおらず、懐かしいポプリの香りと、静かで美しい空間に2、3名、お店のスタッフの方がいらっしゃいました。

奥の机の方にショートカットの女性がいたので、そっと声をかけました。

「……こちらで作品を扱っていただきたいのですが、見ていただけませんか?」

緊張で名乗ることすら忘れ、なんとか絞り出した声は、自分でも思ってもいないほど、かすれてとても小さな声でした。

するとその方は困ったような顔で「申し訳ないですが、こうした持ち込みは受けていないんです。」とおっしゃいました。

「どうしても見ていただきたいのですが、お願いできませんか?」と私。

「商品はお預かりができないから、リーフレットなどはありますか? 作品集みたいな。」

「何度も何度も作り直したのですが、どうしても納得いくものが作れませんでした。実際のものを見てもらわないと伝わらないので、見ていただけませんか?」

「そう言われましても、お預かりはお断りしているので…。」

これがダメだったら宝飾の道を諦める気持ちでしたので、何度断られても私は引きません。
かなり長い間、やりとりを続けた後、私の必死さにとうとう根負けし、彼女は「じゃあとりあえず、作っていらっしゃるものを試しに見せていただけますか?」とおっしゃいました。

緊張で手が震えながら、机の上に置かれたジュエリーボードに作品を並べます。

この時に持って行ったのが、今もあるincirリングや、天然石のdoğaのリング、糸で編んだayのネックレスでした。

プレゼンテーションなんて、全く経験がなかったあの頃。
あるのは作品に対する強い想いだけで、なんとかして魅力を伝えたく、吃りながらも必死に説明をしたような覚えがあります。

アイテムを見た彼女の表情が、ほんの少し変わるのが分かりました。何かを考えていらっしゃるようで、無言の時間が過ぎていきます。
実際はほんの一瞬だったと思いますが、私の心臓はジェットコースターに乗った時のように居心地が悪く、口の中は渇ききってカラカラでした。

しばらく経った後、その方がそっと仰いました。

「いつお返事ができるか分からないけれど、私が代わりにオーナーに提案してみましょうか。」

「……! はい、お願いします。ありがとうございます!」

この方が、まさにデビュー後も大変お世話になった店長さんでした。

慌てて家を飛び出してきた私は、名刺も、もちろん伝票なんてものも持ち合わせていません。
見かねた店長さんが、普段はお客様のお修理の際などに書き込む伝票を用意してくださり、そこに私の名前と連絡先を、商品欄にアイテムの詳細を書き込み、作品を預けました。

フラフラになりながらお店から出ると、ピンク色だった空はすっかり暗くなり、そこには小さな星が出ていました。

『まだ先のことは全く分からないけれど、何かが始まるかもしれない…。』

空の小さな星たちが祝福の印に見え、頬が熱く、すぐに地下鉄には乗る気になれず、青山をぐるぐるとあてどなく歩いてから帰ったのを覚えています。

この日から実際にmuskaとしてデビューするまでには、まだもう少し時間がかかるのですが、あの日が、私にとって大きな何かが動いた一日だったと、今でも確かに思います。

あの日、たまたまオラクルカードを引いて、向かった店内にたまたまお客様がいらっしゃらず、たまたま店長さんがいらっしゃり、私の作品を気に入ってくれた。

偶然なのか必然なのか分かりませんが、こうして始まったmuskaは、今年で10年目を迎え、自分たちのお店を持ち、今日もアトリエで手を動かしています。

肩書きも何もない時に、目の前のものだけを見て、評価をしてくれる方に出会えたことが、どれだけ貴重か、今ならとてもよく分かります。

あの時ほどの無鉄砲さはもう流石にないですが(笑)、心の声に従って、ここから先も歩いていこうと思います。

【1】オラクルカードとは、タロットカードのように複数枚で構成されたカード。それぞれのカードにメッセージが書いてあります。カードがきっかけで、蔵前のタイガービルヂングにアトリエを見つけた話はこちら

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