13 6月 永遠の植物たちと
好きな花や植物の思い出はありますか。
以前、2年ほどシンガポールに住んでいた時期があります。
向こうは一年中真夏のような気候で、植物達の生命力が躍動する濃い緑の国でした。少し郊外へ行くと、ここは確かに以前はジャングルで、そこを人が住むために懸命に開拓していったのだと感じられる、迫力のある自然が広がっています。
丁度体調を崩し、muskaを長期間休んでいた時期で、よくこうした木の陰で横になり、本を読んだり昼寝をしたりしていました。
小さく音楽を聴きながら寝ていると、汗をかいた肌に風が心地よく、色んなことがどうでも良くなるような大らかな気持ちになりました。
当時は回復しない体に少し焦れ、急に空いた時間を持て余していたように感じましたが、今思い返すと、あのどこまでも高く伸びる木々と鮮やかなブーゲンビリアの花たちは、確実に私の弱った心身をそっと包んで癒してくれていたように思います。
植物とジュエリーデザインには昔から強い結び付きがあります。
アンティークジュエリーで、小さなパールを植物の実として表現したブローチや、葉っぱの形の指輪など、植物を基にデザインされたものをよく見ます。
こうしたモチーフが愛されてきたのは、私があの時期心身が癒されたように、多くの人が昔から何らかの植物の恩恵を受けてきたからでしょう。
muskaでも、植物を「エレメント」(デザインの基になった要素・モチーフ)にしたデザインが多く、造形や彫り模様として、チューリップ、薔薇、ぶどう、ザクロなど、様々な植物文様の装飾をリングやピアスなどに施しています。
写本に出てくる装飾文様が好きだったことがきっかけで、オリジナルの植物文様のデザインを始めました。
元々は学生時代に受けた美術の講義で興味を持ち、20代の頃に神保町へ出かけては少しずつ装飾文様についての古本を集めていましたが、それらが今ではmuskaのデザインの参考にとても役立っています。
装飾写本には、植物、動物、人、天使などが組み合わされた大変美しい装飾文様が鮮やかに描かれています。
細部を見ると、猿やふくろうがツタに隠れていたり、魚が泳いでいたり、また、描く人によって表情や腕前も違い、時には「これは有りなのか」と思わせるような随分ざっくりした絵や、少しホラーな描写もあって、ユニークで面白いなあと眺めています。
前回のお話「満月の夜をぬけて」にも関連しますが、これらの文様の中で人間が、自然や精霊など目に見えるものとも見えないものとも、ごちゃ混ぜに絡まり合って描かれている様子を見ると、昔の人々にとってその関係性は本当に身近なものだったのだなと感じます。
チューリップ
チューリップは、muskaの結婚指輪の内側に、ブランドロゴ代わりの刻印として入れている、私にとってとても愛着のある花です。
この花は、トルコでは「幸福」の象徴として、食器やモスクの壁など様々なところに用いられています。また、トルコの女性は「家庭円満」、「子宝」などの願いを込めて、それらを象徴する様々な模様をキリムに織り込み、嫁入り道具としたそうです。チューリップはその代表的なシンボルの一つです。
muskaのアトリエにも、幸せを運んでくるようにとチューリップのキリムが敷かれています。
ぶどうの木
muskaでは、「üzüm」(ウズム、トルコ語でぶどう)というエレメントとして、ぶどうをテーマにしたシリーズを2013年頃から作っています。
ぶどうの木は、しばしば聖書では「神性」や「天国」のシンボルとして登場しており、古代イスラエル近郊の宗教でも聖なる木とみなされていました。また、生命の木と同一視されることが多く、「生命」のシンボルとして扱われ、「実り」や「豊穣」を表すものともいわれています。
大きな葉の文様を彫る為に、とても太い刃先の「タガネ」という彫り道具を使用し、ホワイトダイヤモンドとあわせて、ぶどうが豊かに実る様子をイメージしたデザインは、今もリングとして継続して制作しています。
こうした植物文様は、日本の伝統的なタガネと小さな金槌を使って彫りますが、この技術を「和彫り」と言います。
タガネには毛彫りや片切りなど刃先の形が何種類かあり、それぞれの形ごとに0.1mm単位の違いでサイズがあります。それらを使い分けることによって、様々な模様を金属上で表現することができます。
元々、和彫りは伝統的な定型の彫り模様があり、月桂樹や唐草、桜などは、古くから彫られてきた模様です。金属工芸やアンティークジュエリーの装飾で用いられているのを見ることができます。
しっかりと研がれたタガネで彫られた模様は、まるで彫り跡が磨かれたかのように、大変美しく光ります。
和彫りと装飾文様の植物が私の中で繋がり、いつか様々なシンボルの模様を和彫りで表現したいと、職人さんのもとで勉強していた頃に思い描いていたものでした。
muskaをスタートした当初はほんの僅かだった模様彫りのアイテムも、今では数が増え、装飾もどんどんと遊び心がある入れ方になりました。
装飾文様に書き手の個性が出るように、和彫りも一点一点が手作業で一発勝負のため、彫られたジュエリーにはそれ唯一の味わいがあります。
沢山の数を作ることはできませんが、この味わいは、大量生産とは異なる私たちのスタイルだからこそできる、ものづくりの醍醐味かなと感じています。