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世界を美しくする

19歳の頃、母に連れられ、初めて神保町を訪れました。

地下鉄の出口から出ると何処までも続く古本屋街に圧倒され、日が暮れるまで飽きることなく本を探し、手にずっしり食い込んだ紙袋を抱えて帰りました。

私の故郷にはこのような古本屋街はなく、上京したての私にとって大きなカルチャーショックでした。

大学を卒業するまで、神保町に出かけては本を漁り、飴色の壁紙にジャズが流れる喫茶店で読書をすることは、休日の楽しみの一つになりました。

昔ほど頻繁には行けなくなりましたが、今もデザインや制作の参考資料を探しに、神保町を訪れます。

少しずつ店の入れ替わりはあれど、街の雰囲気は比較的変わっておらず、通っている老舗の本屋はみな健在で、店内に入るとあの頃と同じ古紙の匂いとゆっくり流れる時間にほっとします。

時折、現代社会における情報の爆発的な拡散力や、次々と新しさを求めるスピードに酔ってしまう時があります。

ここに来ると、蓄積されてきた情報は決して廃れるものではないのだと感じるとともに、どんな分野であれ、各々がそれぞれ好きなものを好きなように愛していいのだという「許し」を受け取った気持ちになります。

コロナ禍のこの数ヶ月、時間がいつもよりも増え、神保町で買い集めてきた本を色々と読み返していました。

その中から2冊、ものづくりに関する本を紹介します。

原田淑人『古代人の化粧と装身具』(東京創元新社)

60年近く前に出版された、比較的昔の書籍ですが、現代人にも理解しやすい平易な文章によって、装身具や化粧の起源、国や時代によってどう装身具が機能してきたか等が分かりやすく説明されています。

現代の視点ではなく、60年前の視点から解説されているという点でも興味深いです。

本書の中で、人類は紀元前にはもうすでに化粧をし、金属を加工し、模造石までガラスで作っていたと記されています。人が古からどんな時でも手を動かし、自分を、世界を彩ってきたのだという事実は、装飾という行為が実は日々の暮らしに密接に関係し、深く影響していたことの証であると言えます。

人間は心と体、両方のバランスをとって生きています。

食べ物や薬、心地よい住居が肉体的充足のためのものであれば、私たち人類が行ってきたクリエイションは精神的充足のためのもので、どのように心を満たしていけばよいかを常に念頭に置いている限り、作るものは形骸化せず、永続的で意義深いものになるのではないかと思います。

この現代に、自然から得た資源を使ってものを作っているということ。

いつもその必要性の是非と塩梅を考えます。

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柳宗悦『私の念願』(不二書房)

民藝運動の主唱者であり宗教学者でもある柳宗悦が書いたもの。元々は民藝が好きな家族へ贈った本ですが、その後、宗悦の宗教画に関する本を読んだことがきっかけで、こちらも読むようになりました。

和紙に本の題名が箔押しされた美しい装丁の本で、美の概念や手工藝について、思想家であり宗教学者でもある彼の視点から丁寧に語られています。

手工藝について彼は以下のように書いています。ジュエリーは民藝ではありませんが、ものづくりの姿勢として、大変共感した一節です。

「民藝は必然に手工藝である。神を除いて、手よりも驚くべき創造者があらうか。自在なその運動から全ての不可思議な美が生れてくる。如何なる機械の力も、手工の前には自由を有(も)たぬ。手こそは自然が与えた最良の器具である。この与へられた恵みに叛(そむ)いて何の美を産み得るであらう。
(中略)
機械には決定のみあつて創造はない。それは遂に人の労働から自由を奪ひ喜悦を奪ふであらう。嘗(かつ)ては人が器具を支配し得たのである。この主従の二(ふたつ)が正しい位置を保つ時、美は温められ高められた。」
(※一部の漢字は新字体に改めるか、ルビをふりました。)

必ず人の手が入る。私がジュエリー作りを志向する理由の一つです。

世の中にある宝飾品は、大半が人の手によるものと言っても過言ではありません。鋳造や宝石研磨、金属研磨など、工程の中には機械を使う場面もありますが、ジュエリーの職人たちは自分の手の感覚を最も信じながら、上手く機械と付き合ってきたのではないかと思います。

職人とは、0.1ミリメートルという単位で細部について話をします。大袈裟な話ではなく、ジュエリー製作において、この0.1ミリの差はとても大きく、こうした細かな作業を私たちは手の感覚で行います。そしてその作業を最大限、精密に行えるように支えてくれるのが機械や道具です。

この、機械と人の手の関係性のバランスをうまく取ることが、品質を高めるだけでなく、本質的な美を生み出し、上述した「作るものを形骸化させない」ということに繋がってくるかと思います。

またこの本の中で宗悦は、彼の念願として「この世を美しくしたい。この世を美しくするのに、私にどんなことが出来るか」と書いています。この言葉は大変私の心に刺さりました。

辛い時、いつも美しいものに心を救われてきました。私にとってのそれは、美術館や自然の中にあります。

ピカソの素描やモネの睡蓮。ルオーのピエロ。ルドンの花の絵。トルコのモスクと広大な自然。インドネシアの島で見た夕陽。出張の飛行機の中で眺めた太陽と入道雲。誰もいない山奥の星空。

ここではとても挙げきれませんが、それらはいつもそっと私を包むように優しく寄り添い、冷えた心を温めてくれました。自分が行った「世界を美しくすること」が、時間を超えて誰かの心を温めることがある。

目に見えるものでも見えないものでも、本当は皆が自分なりのやり方で、それぞれに世界を美しくできるのだと思うのです。

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